フランス文学上の不朽の人物、マノン・レスコーは、時代を超えてフランス文化に深く根ざしています。18世紀にアベ・プレヴォーのペンが生み出し、19世紀にジュール・マスネがオペラで讃えた彼女の物語は、今も変わることなく人々を魅了し感動を呼び起こし続けています。しかし、この物語が最大限に表現されるのは、おそらくバレエの世界においてでしょう。バレエ作品となることで物語は象徴的な性格を帯び、原作が持つ限界を超えた普遍性を得ているのです。
1974年にイギリスの振付家ケネス・マクミランがバレエに翻案して舞台にかけた 『マノン』 は、すぐにパリ・オペラ座バレエ団の主要レパートリー作品となりました。フランスのバレエダンサーたちは、芸術探求としてのこの作品の中で、一人一人が、登場人物のニュアンスや言葉にならない意味を微細かつ巧みに体現し、見事な踊りを披露してくれます。
楽しみを求めることをやまないいたずら好きな美少女マノンの運命は、パリで騎士デ・グリユーと出会うことで大きく変わっていきます。マノンは、修道院に入ることになっていたにもかかわらず、狂おしいほどの愛に駆られ、騎士と駆け落ちします。しかし、すぐにマノンの兄が状況を取り成し、裕福なムッシューG.M.の愛人になれば豊かな生活を送ることができると提案します。兄に押されてマノンはこれを受け入れますが、騎士デ・グリユーが再び現れると、マノンはまた彼の愛に屈してしまいます。経済的な問題を克服するため、3人はトランプゲームでイカサマをしてムッシューG.M.から金を巻き上げようとします。彼らの逃避行ははじめはうまくいっているように見えましたが、兄レスコーが逮捕されたことがきっかけとなり、マノンは売春の罪で有罪判決を受けます。マノンはアメリカのニューオーリンズに強制追放され、彼女を追ってデ・グリューも当地にやってきますが、最後の逃避の後、結局マノンはミシシッピ河畔で息を引き取ります。
*仏語のSirène(人魚)には、文学的な意味で危険な誘惑女という意味もあります。
マノンの物語は数世紀にわたってさまざまな翻案がされてきましたが、その中でもとくに有名なのは、19世紀後半に作曲家ジュール・マスネが手がけたオペラでしょう。原作者のプレヴォーは、道徳主義的な観点から、ルイ15世風のリベルタン(放蕩)主義の行き過ぎを掘り下げて扱っていますが、マスネは、世紀末の自然主義に触発され、マノンという人物に、18世紀パリの明暗に彩られた社会的描写を見ました。マクミランのバレエは、マスネのオペラにあるこのような社会的センシビリティを分かち合い、階級間の不平等を浮き彫りにして、これを登場人物の振る舞いに反映させています。18世紀のパリを彷彿とさせる豪華なセットや衣装には、私たちの生きる現代社会を打ちのめしてやまない懸念やジレンマと相通じるものがあります。マクミランはこのバレエにオペラ 『マノン・レスコー』 の音楽は使用していませんが、マスネの音楽は、筋書きの鍵となる場面に奏でられます。例えば、マノンとデ・グリユーの愛がほとばしる場面は、『エレジー』 の素晴らしい旋律にのって繰り広げられ、マノンの疑いと孤独は、歌曲 『クレピュスキュール (黄昏)』 によって陰影深いものとなっています。また、レスコー兄とその颯爽とした愛人は、オペラ 『クレオパトラ』 のバレエ音楽にのって登場します。
マノン・レスコーの物語は、言葉を介せずに身体が語りかけるバレエというランゲージにおいて、とりわけ豊かな表現を見い出しています。マノンとデ・グリユーのパ・ド・ドゥは、二つの運命が抗いがたく惹かれ合い絡みあってゆく様子を体現しています。マクミランはまた、マノンがどうしようもなく男性へ依存してしまうさまを、振付というランゲージを使って描きます。マノンを決してひとりで踊らせないことで、周りの男たちとの相互依存を強調しているのです。マクミランはまた、『眠れる森の美女』 の 「オーロラ姫(ローズ)のヴァリアシオン」のような振り付けも参考にして、これをうまく扱っています。このヴァリアシオンでは、望まれる女性(オーロラ姫)が、腕から腕へ、ポルテ(男性が女性を持ち上げること)からポルテへ、王子から王子へと機械的に相手を変えていくことで、男性に支配された世界で女性の行動範囲が限られていることを知らせているのです。
ネオクラシカルとリアリズムを融合させたマクミランの振付スタイルは、時に暗い部分もあるテーマを魅惑的な視野から見せてくれます。彼は、女性が行動できる範囲、経済的依存、不安定さとの闘いといったテーマを追求しています。マクミランは、表現のために、動きを、時には我慢できないようなところまで生々しく突き詰めるという選択をしていますが、そのことで物語は痛烈なリアリズムを帯びているのです。
パリ・オペラ座バレエ団が上演する 『マノン』 は、イギリス発の作品ではありますが、まさにフランス文化の傑作であり、時空を超えた生きた芸術作品となっています。マノン・レスコーの物語は、アラベスクやプリエ(訳注 アラベスクもプリエもクラシックバレエのテクニック)のひとつひとつに新たな次元を得て、フランスの豊かな芸術遺産の礎となり、普遍的な物語としての地位を確かなものにしているのです。